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18世紀の香り残るケベック旧市街は、世界文化遺産指定の古都。

ジャク.カルチェ Jacques Cartier

フランソワ一世 Francois 1er

 

  コロンブスの後、本格的に北米大陸内を探険したフランス人ジャック・カルチェ(Jacques Cartier1491−1557)。彼は、ノルマンディー地方(Saint-Malo出身)の平凡な漁師の家に生まれ育った。熱心な漁師たちのタラ漁、クジラ漁の話や、当時の探検家ジャン・カボーのニューファンドランドでの偉業を聞きながら成長した。いつしか大西洋横断はもちろん、新大陸からアジアへの開拓を具体的に計画してやまない探険家になっていた。ルネサンス期以降の急速な航海技術の発達でコロンブスやマグリアン、バスコ・ダ・ガマなどスペイン、ポルトガル人探険家の偉業が周知されようになった。漁師たちの間では早くから航海ルート偉業話が中心になり、誰もがアジアや宝探しに夢中になった。

 国王のフランソワ一世(写真右側)は、スペイン、ポルトガル人探険家の偉業を耳にするや否や、アジアへの開拓ルートに取り組む任命を出した。そこには、経験と知識を十分に備えたジャック・カルチェの姿があった。

 ジャック・カルチェ率いる帆船は1534年4月20日、61人を乗せフランスのサン・マロ港を発った。その後20日間で大西洋横断し、同年6月15日にニューファンドランド沖に到着。6月26日にマドレーヌ島に到着。老人漁師が教えてくれたルートを南下し、やがてセントローレンス河口を発見。7月14日ようやくガスペに到着。一団は目的のアジアへのルートを発見する為、河口上流へと更に進み、途中タドゥサック(クジラ観察で有名な場所)、マルベを経由して、やがて河の狭くなるケベックまでたどり着いた。 彼は3回にわたり、同地域を探検した。

 
 

Nouvelle-France

 
  探険家ジャック・カルチェのカナダ東部探険以降70年以上経って、ヘンリー四世が新大陸の可能性に着目した。その後、サミュエル・ド・シャンプレン率いる一団が、1608年7月2日に今日のケベックに到着した。「河幅の狭くなる場所」ケベックが新フランスの拠点となった。開拓計画はより肥沃な土地を求めゆっくりセントローレンス河沿いに行われ、のちほどモントリオール→オタワ→5大湖の順に進んでいった。当時の人々は、この母なる大河沿いに、歴史や生活の場を築き上げた。  
  今日、モントリオールは重要な国際商業の拠点に発展。ケベック市は18世紀の建物や寺院が今でも大切に使用され、伝承されたフランス大衆文化も含め「ユネスコ世界文化遺産都市」に指定されている。